2020.12.13 ラダーの扉

「ジェーン・エア」を読むにあたって

「ジェーン・エア」が発表されたのは、1847年のことでした。

シャーロット・ブロンテは、この作品をカラー・ベルという男性の名前で発表しています。まだ、女性への偏見も根強かった時代です。同時期に小説家として活躍していたメアリー・アン・エバンスも、ジョージ・エリオットという男性のペンネームを使っていて、その方が有名になっていました。そして、妹のエミリー・ブロンテも、「嵐が丘」をエリス・ベルという男性のペンネームで発表しています。

当時、イギリスはビクトリア女王の時代でした。

この時代、産業革命に成功したイギリスは、世界中に植民地を持っていました。人々の目は海外に向けられ、そうした情報や知識も、以前とは比較にならないほど豊富になった時代でした。一方で、産業革命によって過酷な重労働を強いられた人々の間で、労働者の権利意識が高まり、社会主義運動もおきていました。

女性の地位はまだ低かったものの、お隣のフランスでは、ショパンとの恋で知られる女流文学者ジョルジュ・サンドが、社交界に男装で現れるなど、フェミニズム運動の片鱗が見え始めた時代でもあったのです。

そんな背景の中で、主人公のジェーン・エアは、恋愛を貫き、同時に職業を持つ自立した女性として描かれたのです。

実は、ジェーン・エアの経歴は、シャーロット・ブロンテの前半生に重なります。

牧師の3女として生まれたシャーロットは、姉達とプロテスタント系の寄宿学校に入学します。しかし、そこでの厳しい生活と不衛生が元で、二人の姉は肺炎で死亡します。ジェーン・エアが入ったローウッド学園でおきたことと酷似しています。

シャーロットも、ジェーン・エアと同様に、その後家庭教師として自立し、妹エミリー・ブロンテと共に私塾を開こうとしましたが、それは失敗に終わります。

エミリーとは共にベルギーに留学し、末の妹アン・ブロンテも加えて共同の詩集を発表するなど、姉妹そろって文筆活動を展開したのです。

しかし、そんなエミリーもアンも夭折し、シャーロットは一人ロンドンで文筆活動を続けるのです。その時彼女は実名で活動を始めます。女性の作家としての自覚がそこにはありました。

シャーロットは、父親の反対のために結婚をためらっていたアーサー・ニコルズという男性と1854年に結婚しますが、その直後に妊娠中毒症で38歳の生涯を閉じます。エミリーの死後6年が経過しています。

「ジェーン・エア」に描かれているのは、伝統的な価値観の残るイギリスの地方の風景です。今でこそ地味に見えるジェーン・エアですが、家庭教師として自立し、しかも自らの恋愛を貫き、求婚を断り傷ついた貴族ロチェスターの元に走る姿は、当時としては異色でした。そして、小説に描かれるジェーン・エアは、特に美人でもなく、風貌からいうならば、ごく普通の女性でした。これも当時の小説としてはあまりないことです。

色々な意味で、シャーロットは当時としては画期的な小説を書いたのです。

シャーロットとロンドンで交流のあった女流作家エリザベス・ギャスケル、そしてギャスケルの作品を紹介したジョルジュ・サンドなど、シャーロットは、短い生涯を充実して生き抜いた聡明な女性です。現存する彼女のポートレートから見る限り、美貌と知性を併せ持った人のようでした。

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」で復讐に燃えるヒースクリフという男性。そしてこの「ジェーン・エア」に描かれる狂人の妻を地下牢に隠すロチェスターという貴族。

ブロンテ姉妹のこの二つの作品に共通する男性の描き方の背景に何があるのかはわかりません。ただ、彼女らの父親が敬虔なプロテスタントであり、シャーロットの弟で、ブロンテ兄妹のただ一人の男性であったブランウエルの人生がその父の教育が原因で破綻し、アルコール依存症に苦しんでいたこと、そして思春期に姉二人を寄宿舎で失い、その学校の教師が、ジェーン・エアが子供の頃に彼女を苦しめた教師をモデルにしていることなどが、二人に共通した男性像を描かせたのかもしれません。

ビクトリア朝時代のイギリスを代表する作品「ジェーン・エア」は、そのシンプルなストーリーの中に、当時のイギリスの様々な事象を織り込んだ名作なのです。

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