『オズの魔法使い』と『ウィキッド』:名作が新たな視点で生まれ変わる
『オズの魔法使い』は、1900年にライマン・フランク・ボームによって書かれた有名な物語です。物語は、カンザスの農場に住む少女ドロシーが、強力な竜巻によって愛犬トトとともに魔法の国オズへと運ばれるところから始まります。元の世界に戻るためには、エメラルドの都に住む「オズの魔法使い」を見つける必要があります。
旅の途中で、ドロシーは3人の特別な仲間に出会います。脳が欲しいカカシ、心が欲しいブリキの木こり、勇気が欲しい臆病なライオンです。彼らは一緒に黄色いレンガの道を進みながら、さまざまな困難や敵と対峙します。その中には邪悪な西の魔女もいます。しかし、最後には3人とも、自分たちが求めていたものをすでに持っていたことに気づきます。そしてドロシーは、自分がもともと家に帰る力を持っていたことを知り、魔法の銀の靴を使って元の世界へ戻るのです。
この物語は、1939年にジュディ・ガーランド主演の映画『オズの魔法使』によってさらに有名になりました。この映画では、原作の銀の靴がルビーの靴に変更されるなど、いくつかの違いがあります。この「オズの魔法使い」の物語は何度も語り直されていますが、その中でも特に興味深いバージョンが、2003年にブロードウェイで初演されたミュージカルを基にした新作映画『ウィキッド』です。
『オズの魔法使い』と『ウィキッド』の違い
『ウィキッド』は、「オズの魔法使い」に登場する西の魔女が、どのようにして”悪役”と呼ばれるようになったのかを描いた物語です。彼女の本名はエルファバ。生まれつき緑色の肌を持ち、賢く優しい性格ですが、見た目が違うという理由で人々から偏見を持たれます。彼女は「シズ大学」に通い、そこで美しく人気者のグリンダと出会います。最初は反発し合う二人ですが、次第に友情を育んでいきます。
『ウィキッド』の最大の特徴は、魔女側の視点から物語が語られることです。エルファバは決して本当の悪ではなく、不正と戦おうとする人物として描かれます。一方、『オズの魔法使い』では偉大な存在として描かれたオズの魔法使いが、『ウィキッド』ではむしろ悪役として登場します。また、グリンダのキャラクターも大きく異なります。『オズの魔法使い』では常に親切で賢い魔女として描かれますが、『ウィキッド』では最初は自己中心的でありながら、次第に成長していきます。
結末も異なります。『オズの魔法使い』では、西の魔女はドロシーに水をかけられて死んでしまいます。しかし、『ウィキッド』では、エルファバは実は生きていて、恋人フィエロと共に逃げるという可能性が示唆されます。この変更によって、物語はより奥深く、感動的なものとなっています。
どちらの作品も「友情」や「本当の自分を見つけること」というテーマを共有していますが、『オズの魔法使い』が子ども向けのシンプルな童話なのに対し、『ウィキッド』はより細かい設定と感情の深みを加えています。オリジナル版と新しいバージョン、どちらを好むかは人それぞれですが、どちらも「見た目ではなく、心の中を見ることが大切」という大事なメッセージを私たちに伝えてくれる物語です。
The Wonderful Wizard of Oz and Wicked: A Classic Story with a New Twist
Guest Post by: Raina Ruth Nakamura
The Wonderful Wizard of Oz is a famous story written by L. Frank Baum in 1900. It tells the adventure of a young girl named Dorothy, who lives on a farm in Kansas. One day, a powerful tornado carries her and her dog, Toto, to a magical land called Oz. To return home, she must find the Wizard of Oz, who lives in the Emerald City.
On her journey, Dorothy meets three special friends: the Scarecrow, who wants a brain; the Tin Man, who wants a heart; and the Cowardly Lion, who wants courage. Together, they travel the Yellow Brick Road, facing challenges and enemies, including the Wicked Witch of the West. In the end, the three friends learn that they already have the qualities they had wanted. Dorothy discovers that she had the power to go home all along by clicking her magical silver shoes.
Many people know this story from the famous 1939 movie The Wizard of Oz, starring Judy Garland. This film made some changes to the original book, such as turning Dorothy’s silver shoes into ruby slippers. The story of Oz has been retold many times, but one of the most interesting versions is Wicked, a new movie based on the 2003 Broadway musical.
Differences Between The Wizard of Oz and Wicked
Wicked tells the story of the Wicked Witch of the West before she became the villain in The Wizard of Oz. Her real name is Elphaba, and she was born with green skin. Although she is kind and intelligent, people judge her because she looks different. She goes to school at Shiz University, where she meets Glinda, a beautiful and popular girl. At first, they do not like each other, but they eventually become friends.
One big difference between Wicked and The Wizard of Oz is that Wicked tells the story from the Witch’s point of view. It shows that Elphaba is not truly evil—she only wants to fight against injustice. The Wizard of Oz, who seems like a great leader in the original story, is actually a villain in Wicked. Another major difference is Glinda’s character. In The Wizard of Oz, she is always kind and wise, but in Wicked, she is selfish at the beginning and then learns to become a better person.
The ending of Wicked is also different. In The Wizard of Oz, the Witch dies when Dorothy throws water on her. However, Wicked suggests that Elphaba may still be alive and escapes with her true love, Fiyero. This makes the story more complex and emotional.
Both the original book and new movie share themes of friendship and finding one’s true self. The Wizard of Oz is a simple fairy tale written for children, while Wicked adds more details and deeper emotions. Whether you prefer the original or the new version, both are great stories that remind us to look beyond appearances and understand what is in people’s hearts.
ラダーシリーズ、今月のおすすめタイトルをご紹介!
きつねの親子と人間の心の交流にふと心が暖かくなる、新美南吉の名作童話『手袋を買いに』は、まだまだ寒いこの時期にこそぜひ読んでいただきたい一冊です。レベル1だから中学レベルの単語・文法で楽しめ、初級者の方にもおすすめです。
そして、しばらく品切れでしたが、ご要望が多く重版されました『秘密の花園』『ギリシャ神話』や『シェイクスピア四大悲劇』『ザッカーバーグ・ストーリー』もこの機会にぜひ!名作文学や伝記など、豊富なラインナップから様々なカテゴリーにチャレンジして、楽しみながら英語力を磨いていきましょう!
ラダーシリーズ レベル1『手袋を買いに』

ある朝起きると、外は雪景色。母さん狐も、子狐もそのまぶしさに驚きます。子狐にとっては生まれて初めての雪。思い切り外で遊ぶと、雪の冷たさで両手が真っ赤に。かわいそうに思った母さん狐は、町に手袋を買いに行くことを思いつきますが、人間のことを思うと足がすくんでしまいます……。立場が異なるもの同士の心の交流を描いた新美南吉の名作童話。
この書籍をもっと詳しくみるラダーシリーズ レベル2『秘密の花園』

インドで育ったメアリは両親を病気で亡くし、イギリスに住むおじに引き取られる。意地っぱりなメアリだが、屋敷で働くマーサやベンたち素朴なヨークシャの人々と触れ合ううちに、しだいに心を開いていく。ある日メアリは、屋敷に十年間閉ざされたままの花園があることを知る。花園の「秘密」を知ったメアリは、なんとか花園に入れないかと切望する。『小公女』『小公子』と並ぶバーネットの傑作。
この書籍をもっと詳しくみるラダーシリーズ レベル4『ギリシャ神話』

太陽の神アポロが月桂樹の冠を頂くようになったいきさつを語る『アポロとダフネ』、美の女神アフロディテに愛された青年の物語『アフロディテとアドニス』、死んだ妻を追って冥界へ入った竪琴の名手の悲劇『オルフェウスとエウリュディケ』など、ブルフィンチの古典的名作『ギリシア・ローマ神話』
(原題: Bulfinch’s Mythology: The Age of Fable) から代表的な物語9篇を収録。
ラダーシリーズ レベル4『シェイクスピア四大悲劇』

ルネッサンス時代、イギリスで一世を風靡し、以来世界中で愛され続けてきたシェイクスピア。彼が残した作品の数々から、四大悲劇「ハムレット」「オセロー」「リア王」「マクベス」を収録。オリジナルの戯曲を小説形式にしたラム姉弟版をベースにした本書では、難解さでも知られるシェイクスピア作品を、原書の雰囲気そのままにやさしい英語で楽しむことができます。卓越した心理描写と、暗いだけではなくどこかユーモアも感じさせる、悲劇の最高峰。
この書籍をもっと詳しくみるラダーシリーズ レベル5『ザッカーバーグ』

世界を席巻する巨大メディアFacebook創始者マーク・ザッカーバーグ。最新の話題をシンプルな英語で読む!ビジネスシーンで使えるボキャブラリーも満載。 利用者が全世界で増え続ける交流サイト最大手 Facebook のアイデアは、米ハーバード大学の寮の一室からはじまった。2004年のことだ。その部屋に住む男子学生の名前は、マーク・ザッカーバーグ。数年で巨大メディアを生み出すことなど想像もしない19歳の学生だ。その若き実業家ザッカーバーグの大学時代の活動から、最新の超大型企業買収までを平易な英語で綴る。
Zuckerberg was shy and quiet. He always took a long time to reply to questions. His answers were often short and ironic
この書籍をもっと詳しくみるナサニエル・ホーソーンの代表作『緋文字』。
この悲恋物語を通して、読者は清教徒が上陸してきて間もないアメリカへといざなわれます。
夫を裏切り、他人の子を宿した主人公ヘスター・プリンは、キリスト教の厳しい掟によって裁かれ、贖罪のために胸に赤いAの文字をつけることを命じられました。しかし、その子の父親は、開拓者が入植して間もないボストンの人々を導く牧師だったのです。
物語に描かれる風景は、ヨーロッパから数ヶ月かけて海を渡り、やっとの思い出たどり着く、まだ人もまばらな新大陸です。
昔の記録をみれば、公的な書類や本国からの役人を乗せた船ですら、たびたび嵐に流され、目的地から遠く離れたところに漂着していたそうです。
新大陸のほとんどは深い森に覆われて、ヨーロッパからの入植者は先住民であったアメリカン・インディアンと交易をし、ビーバーの毛皮などを仕入れてはヨーロッパに送っていました。
ヘスター・プリンが裁かれ、緋文字をつけた姿を公衆の面前に晒された場所は、おそらく現在はコモンと呼ばれるボストンの中心部にある広場でしょう。彼女が立たされた場所では公開の処刑も執行されていました。それは厳粛なものであるはずですが、当時は多分に見せ物のように執り行われ、罪人が絞首されると、人々は拍手喝采をしてその最期を見物していたといわれています。
ヘスター・プリンも、そんな無慈悲な聴衆の前に晒されて、その後はひっそりと街のはずれで、針仕事で生計を立てていったのです。
へスターの夫ロジャー・チングリースは、医者として体の弱い牧師の面倒をみるのですが、内心牧師がヘスターの相手であったことに気付き、復習心を抱きます。
彼の調合する薬はアメリカン・インディアンから学んだ薬草からつくられていました。先住民には、メディスン・マンという呪術師がいて、彼らは独自の知識をもって薬を調合していました。旧大陸から流れ着いたチングリースは、彼らと交流する中で、そうした知識を身につけたのでしょう。キリスト者である著者は、チングリースがあたかも異教徒の魔術師であるかのような印象を読者に与えてくれます。実際、物語の中には、ヒビンズという巫術を使う女性が登場します。ボストンの近くにあるセイラムという町では、へスターの生きていた時代からそう遠くない、1692年に悪魔憑きの流言から魔女狩りが実際に行われ、19名が処刑されるという事件がおきていたのです。実はホーソーンはセイラムの出身で、先祖の一人は、魔女裁判の判事でもあったのです。
罪の意識に苦しむディムズデイル牧師の心理状態は、キリスト教の倫理との葛藤を語る神学論争にも似ています。そこには、病に科学の光をあてていこうとする試みと、宗教的倫理との交錯が読み取れるのです。今でも西欧社会に残るキリスト教的な論理と近代科学という、一見対立する二つの事柄が時には融和し、また乖離してゆく葛藤がホーソーンの記述からも読み取れるわけです。
現在の常識で考えれば、へスターも牧師もなぜそのように苦しまなければならないのかと、時には理不尽にも思えます。彼らの動揺は、いうまでもなく厳格な清教徒の道徳律によるものに他なりません。
当時、入植者は入植した場所ごとに町を造り、規律も町の運営方法も、彼らが集まって設定していました。従って、町ごとに異なる法律があり、常識すら変化していたのです。入植者達の宗教的背景がそれぞれの地域の運営に大きな影響を与えていたわけです。よそ者のスペインの船乗りや、アメリカン・インディアンが、町の規律とは全く無縁のところにいた背景はそこにあります。
そして、その名残は今のアメリカにも色濃く残っているのです。町の犯罪は町の人の判断で裁こうというのが、アメリカでの陪審員制度の原点です。地方分権が徹底し、未だに地域ごとに法律や教育制度まで異なるアメリカの多様性の原点もこうした入植者の歴史に遡ることができるのです。
それ故に、へスターは、二人で町を出ることによって自由を得ようと牧師を説得します。
そして、牧師はその説得に心が傾く中で、自らの罪の告白をしないままにヘスターとの未来を受け入れることに、キリスト者として強い葛藤を覚えるのです。それは、聖書での荒野で悪魔の誘惑と闘う、あるいは十字架にかけられる前夜にゲッセマネの森で祈るイエス・キリストの姿のように、牧師の心を揺るがし、苦しめます。
森での愛し合う二人の会話と、その後の牧師の精神的動揺、へスターに近寄る魔女ともいえるヒビンズという女性など、ホーソーンは物語を構成する中で、そうした宗教的素材を見事に配置したのです。
素材といえば、へスターが産み、そして育てたパールという娘は神秘的です。牧師とへスターが森の中で出会い、心を通わせるとき、パールは川の向こうで一人遊んでいます。
当時、ボストンは村ほどの規模もなく、周囲は鬱蒼とした森でした。森の香りは、海をも漂い、船乗りたちに陸が近いことを知らせていたといわれています。そんな深閑とした森の中で、二人が思いを告白し合うとき、二人とパールの間に川があって、パールの姿は川面にも映っています。
川面に映るその影にも魂を宿らせ、ちょうど昔から森を畏れるヨーロッパの人々が想像するニンフのような、パールとは別の人格をそこに描くホーソーンの意図は不気味です。
19世紀、まさにペリーが日本を目指していた頃にホーソーンはこの小説を書いています。1850年のことでした。
その前年までホーソーンは魔女裁判のあった港町セイラムの税簡に勤務していました。セイラムは貿易港として栄え、近くには捕鯨船の基地も多くありました。当時のアメリカでは捕鯨が盛んで、鯨の脂は蝋燭の材料として重宝されたのです。そんな捕鯨船に燃料を供給する基地として、ペリーは日本に開国を求めたのです。
そして、セイラムは、大森貝塚を調査し、日本にダーウィンの進化論を伝えるなど、明治の日本の学術発展に貢献したエドワード・モースや、モースの紹介で来日し、日本美術を再評価し世界に紹介した、アーネスト・フェノロサの故郷でもあるのです。彼らもホーソーンより後年に活躍したものの、ホーソーンの生きた時代にセイラムで若き時代を送っていました。
ホーソーンは、主人公ヘスター・プリンの時代から200年後に作家として活動しています。まだ、西海岸が充分に拓かれていなかったこの時代、セイラムやボストンなど、東海岸の都市が極東への門戸ともなっていたのです。
ホーソーンはアメリカの黎明期以来、脈々と受け継ぐ清教徒の宗教観をもってこの物語を描いています。しかし、彼の生きた時代のアメリカは、そうした価値観を受け継ぎながらも、世界に向けて門戸を開き、ボストンやニューヨークが移民を吸収しながら大産業都市へと変貌をはじめた時代だったのです。